2025年の「やめれたときにやめな」

前略。あの日からもうすぐ2ヶ月が過ぎようとしている。
未消化だった恋はやめれたときにやめよう。と決めていて、そのうちいろんなことを思い出すことがなくなるだろうと考えいていた。一方でこの2ヶ月は内に外にやることがごまんとあって、そんな毎日を過ごしていたらそれを思い出さなくなった。要は「やめれた」ってこと。
そして2025年もあと数日で終わり。振り返って今年は「失うばかりではなかったけど、失うものが目立ってたくさんあった1年」だった。ただ、自分が大人になって、「失う」ということに少し慣れてしまったんだなとも知ることになった。「何かを失う」という喪失感を引き摺らないように「出来るようになった」のかもしれないし、同時に失うことに「鈍感」になったのかもしれない。
ただ。。。ただ、失うばかりの毎日がいいはずもなく、こんな状況を変えたいとは思うが、どうやったら変えられるかという思考さえも失ったように思う。どうしたものであろうか。。
片付いていない。

前略
僕はとても幸せな夢を見た。抱き合ってキスとした。
くっ、なんてこった。
まだなんも片付いてないじゃん。。しっかりしろよ。。
「Season1」を駆け抜けて

前略
FY23末から合流した仲間が、一昨日「楽日」を迎えて西新宿を去った。
決して今の仕事が嫌でここを去るわけではない。だけど前を向いて自分がやるたいこととできることが合致するところに向かいたい。というところに帰結したそうだ。キャリア形成というのはやっぱり一筋縄ではなくて、意外と思われるかもしれないが、これまで出逢った「思慮深い人」たちは、キャリアに変遷を重ねて結局は最初のキャリアに帰ってくるみたいな人たちだったりする。まぁ、僕は「思慮深い=欲張り」という人間だったから、お金が当たるところを中心にして、お金の当たらない楽しいことは目の届く範疇で同時にやる。という「キャリアの並走」という毎日に落ち着いた。そして現在キャリアの中心は結局最初のキャリアだ。彼女はこの先「何が欲しくて、どう生きたいのか」にボンヤリとでもいいからイメージを沸かせないと苦戦するだろうな。と心配する一方で「私のキャリアはこんなもんじゃない」って思っているからこそ前に進めたはずだ。
竹原ビストルの歌(どーん!とやってこい、ダイスケ!)の歌詞に気に入っているフレーズがあって、
〽思い通りにいかないってことを
知る為にはまず 思い通りにやってみる必要があるんだ
この言葉を彼女に贈った。そして彼女がここに来てからの毎日は、多くの気づきを与えられて、僕自身の仕事がより良くなっていく毎日だった。毎日西新宿に行くのが楽しかった。そして、幸せだった。ありがとうね。まずはキャリアの「第1シーズン」を駆け抜けた君の第2シーズンはもう目前に迫っている。
まぁ、あんまり自分で自分を傷つけるようなことはするべきじゃないだろうから、「これじゃないな。。」と気づいたときに西新宿の景色が恋しくなったら、また戻ってくればいいさ。
だからさよならは言わない。またね!
ガチ減量、再び。

(写真は本文とは関係ありません)
前略
人生2度目のガチ減量を続けている。今年の7月1日にスタートして2ヶ月半が経過。内臓脂肪は概ね消化し切って現在は皮下脂肪を消化するフェーズに入ってる。前回は6年前にやっていたがこのときは当初予定が3ヶ月でその後3ヶ月延長して6ヶ月間完全禁酒と筋トレと糖質制限をやっていたが、今回も同様ではあるものの糖質制限はそこまでガチでやってない(日量100g)ので前回ほど進捗していない。ただ、前回は減量終盤はマジで「おじいちゃん」みたいになっちゃって、昔からの友人に「なんかがん患者のカヘキシーみたいに見える」と頑張った結果が散々だったので、見た目が酷くならないところでやめようと思っている。予定では10月末までだけど、維持体重を決める旅なので目標達成まで旅は続く。
ただ、糖質制限の弊害で集中力を欠いて、マジで仕事やる気が起きない。。誰か助けてw
大好きだと思い知った、夏。

なかなか逢えなかったその人に逢いに行った。
一眼見てまた君を好きになった自分がいた。
その愛らしい姿に、僕はまた心を打ち抜かれたんだ。
だけどなんだろう、この喪失感。なんだかもう手が届かない世界の人に見えてしまったからだろうか。それでもやっぱり僕はこの人が大好きだということを思い知ることになった。そんな2025年の夏は続く。
精神的余力

前略
大抵のことは筋肉で解決する。はずだが、精神的余力が伴わないといくら体力がいくらあっても思うような行動を起こせないことに気がついた。ってか今の僕はあまりにも忙しい。平日も休日も毎朝4:30に起きて仕事して、周囲はお願いばかり僕に押し付けて来て、僕はただそれをやるだけの毎日。一体僕の時間はいつ取れるのだろうか。一歩踏み出したあの日から何もできないまま今日になった。
これじゃあいかんということで先週からセッセコと制作の準備を再開。最愛との時間は、ここから取り戻す。ってか、そういう時に限って周囲の皆は僕の征く手を阻む「お願い攻撃」を仕掛けてくる。そうしてまた精神的に塞ぐのだけれど、最愛を目前にそんなことは言ってはいられない。それこそは筋肉でどうにかしてやる。
一歩、踏み出した。

前略、なかなか踏み出せなかった一歩を、きょう、踏み出した。
側から見ればどうということもなく、他愛もないこと。
それでも今の僕には、大きな一歩。
今年に入ってから「何かを伝える。」というトピックを掲げていたが、それを伝えるために、僕は今日、大事な一歩を踏み出すことができた。そう。出来たのだ。
大切なそれを伝えるためにはどうしても距離を縮める必要がある。本当のことを言えば、その距離を縮めるきっかけを、僕はその人から何度も受け取っていたにもかかわらず、ずっとまごまごしてたのだ。まごまごしていた事由は具体的にはここでは触れないが、一言で言い表すとしたら「それ自体が常軌を逸している」からだ。そして何よりも何かあったらいろんな人にたくさん迷惑をかけることになることが予見できているからだ。それでもここ1年くらいで、僕はまだいろんなことが出来るということを思い知ることになって、思い切って行動に移すことにしたのだ。
ただ、皆に迷惑をかけるであろうその行動をなかなか起ここすことが出来ない状況が続いていたため、ある作戦を実行に移した。皆に迷惑をかけずにその人に大切な何かを伝えるというアイディアを、僕は諦められなかったからだ。それでもその作戦は「その人」に迷惑がかかるかもしれないし、僕の考えがその人を良からぬ事態に晒してしまうかもしれない。
それでもその人はそれを快く受け取ってくれた。
恐らく手を差し伸べてくれたのだと思う。
ありがとう。僕は君が好き。大好き。
この恋は、絶対に未消化では、終わらせない。