旅路の果てに見せた「人生の凄み」

前略、今し方、親父が他界した。
長い旅路がいま、終焉を迎えた。

 「親父はもう、長くありません。。」そんな言葉を使い始めたのは一体いつからだったろうか。記憶が正しければあの震災のあとの2012年頃だったように思う。老人の末期とはいえ、あのときの親父は癌でもう長くない、そう考えられていた。呼吸不全で在宅酸素が欠かせない時期やら循環器障害やら脳血管障害やらと、ありとあらゆる発作を繰り返して、それでも尚、不死鳥の如く生還してくること十余年。きょう午後6時30分、闘病という名の長い旅路を終えて、永遠の旅に出掛けたのであった。

 ただ、何度も死の淵から生還を果たしてきた親父の最期は、数多ある持病のいずれでもなく、COVID-19からの生還、その後呼吸不全をひと月近く経ての旅立ち。最期まで生きることを諦めなかった親父の最期に触れ、「人生の凄み」を見せつけられたのであった。

 かれこれ2週間以上も前から危篤と小康を繰り返していて、いつ旅立つかもわからず、職場の上席や同僚がいろいろ配慮してくれたおかげで、兄弟全員で親父の最期を看取ることが出来た。この場を借りて皆に御礼申し上げたい。そしてそうさせてくれたのは「この親父の息子」であったからであろうと僕は信じている。

 しかし親父。長かったな。人生の終盤は運動器の障害で大好きなゴルフも断たれた人生だったから、これからは好きなだけラウンドに出てくれ。僕ももう少し上手くなってそっちに 行くからさ。


 まぁ、まだまだ行く気はないけどな。親父の息子(長男)だし。

 最後に、本当にありがとう。そして、おつかれさまでした。