僕は「行き先」をまだ、決めていない。

「人生は単純。行き先を決めたら振り返らなければいい。」

何度も呟いたお気に入りの映画の台詞。

なのに僕はまだ、その行き先を決められずに、いる。

 

 このところ周囲の状況が少しづつ変化してて、僕は相変わらず変わり映えのない日常を過ごしている。ある人は新しい行き先を決めてそこに進み、ある人は僕が見たことのない景色にたどり着き、新たな春にはまた若者が周囲に集った。

 斯く言う僕も、決して何もなかったわけではないが、そういう周囲の変化の方がダイナミックで、僕のそれは大したことじゃない。昨年暮れから取り組んでいた国家資格取得は道半ばで僕自身が見るべき景色を変えることには至っていない。が、最近、僕はこの先、どんな景色が見たくて今を過ごしているのか、それがわからない。というか、今は金銭的事情で惰性で毎日変わり映えのない景色を見ているだけで、僕が本当に見たい景色も、その景色が何処にあるのかもあまり考えていないし、イメージも出来ていないし、そもそも「行き先」を、僕はまだ決めていないんだということに気がついた。

 仮に誰かを口説いて何かが上手くいったとしても、僕はその人とどうなりたいとか、どうありたいとか、そんなことは全く考えていない。その人が現れたら考えればいいや。くらいにしか考えていなかった。でも、このブログを書き始めてからも大分時間が経って、何も変わらず、何も変えられていない自分がここにいる。そう思ったとき、「これだけの時間を費やして、景色を変えられないのは何故だろう?」と考えたのが先週の話。その結論が「自分はまだ行き先を決めていない=決めていないからそこに向かおうとしていない」というところにたどり着いた。要は目標がないから計画がなく、計画がないから何も変わらない。要は偉そうなことを周囲に語っているのに、僕自身は現状維持のループから抜け出せないでいるのだ。

 僕は多分、この行き先をそろそろ決めないといけないところに来ているんだと思う。結局のところ今のままだとお金を稼ぐという目的のためだけに好きでもない仕事を嫌々やり続けることになるし、その「好きでもない仕事」に一線で残れる時間もあまり残されていない。長くてもあと6年で何らかのパラダイムシフトに晒されるから現状維持をいつまでも続けたら突然崖から転落することになりかねないのだ。

 と、自分に問うてみても、そんなに簡単に行き先は見つかるはずもない。でも見つける努力くらいはしなければ。と、土曜の午後に呟いた週末。