おめでとう・2021
恭賀新年
本年が皆様にとって素晴らしい1年となることを祈念して。
本年が自身にとって素晴らしい1年となることを祈念して。
一昨年前の暮。クライアントとの忘年会で「来年(2020年)は再婚します!」と宣言しておきながら、奮闘空しく空振りの1年、そしてコロナ禍。オリンピックが中止になった以上に私的には今までにない1年になってしまったけれど、懲りずに今年もがんばってみるよ。
ただ、一昨年前の秋以降、仕事に追われて私生活はもうガタガタでどうしようもない状況。本当のことを言うと、昨年の夏以降はもう誰とも会話できない精神状態で、今以てなお、精神的には酷い状態が続いている。他人と会話できない、他人の書いた文字を読めない(識字は出来るけど読むことを脳が拒否している)、今まで楽しいと思っていたことが何も楽しくない、新しいことをやることを脳が拒否。唯一脳が拒否していないのは、最愛を探すこと。これだけは脳が拒否していない。というより、求めているのだ。今年はほんとにそういう人を探さないと、精神的に益々ダメになっていきそうな気がして怖い。。なんとかせねば。。がんばろう。
って、そうやってがんばろうって思うこともまた、脳が拒否している。。
夢の中でも仕事していた。
前略、今日は「有給奨励日」なる社のくだらないルールでお休みです。
まぁ、昨日で終わらせたからお休みでいいんだけど。。
今朝もいつも通りに4時30分の目覚ましが鳴るまえに起きた。本当は仕事する予定だったんだけど、昨日のうちになんとか終わらせて今日は休みにした。
でも、夢の中でも仕事していた。いつもの仲間がZoom伝いに仕事の話をしていた。ボクも呼び出されて彼らと話をしていた。
なんで夢の中でも仕事しているんだか。。
若者よ、生き急げ。
前略、先々週の「週末リゾート」が快適だったのでまた行ってきた。
写真はないんだけど景色はこの間と全く同じ。
そして周りは、カップルでいっぱい。。
正直男一人で来ている奴なんかボクくらいで、あとはカップルかファミリーか女子の集団。コロナ禍という今だから、殊更に「集合」とか「集団」とかが大事なことなのだと、皆が気が付いているし、ボクの若い頃のそういう場所は、喧嘩しているアベックとかがそこいら中にいて、「なんで今更こんなところに」みたいな感じになる集合が多いわけだけど、今はみんな仲睦まじく、武者小路実篤を地で行く人ばかり。
仲良き事は美しき。そんな姿をホワイエやらエレベーターやら連絡通路やらレストランやらホテルのコンビニやらで目の当たりにして、なんかそこだけ時間が止まって見えるのはボクが歳を取りすぎたせいだろうか。。かつてのボクにもそういう時間はあるにはあったけど、そんな時間は当たり前だと思っていて、その大切さに気が付くのは人生のずっとずっと後で、それが今なんだ。
若者よ、その時間は貴重だ、でもそれには気が付けないから若さは貴重で美しい。だからこそ、だからこそ、享楽的に生き急ぐことだって、人生には大事なんだ。若者よ、生き急げ。思うがままに。
Weekend Resort
ここはどこ?
ここはかつてのボクの庭。
今は遠い思い出になった、郷愁の街。
三連休になって、仕事しなくちゃいかんのだけれど如何せんあまり家が快適じゃないので、ちょっとだけ家を離れた。自分の家から一番近いリゾートは、かつてのボクの庭であり、今はもう遠い昔に置いてきた「郷愁の街」でもある。GoToトラベルがなかったら、ここに来て時間を過ごそうなんて、多分思わなかっただろう。
カーテンを開けたら、あの、幸せな時間を過ごしたときと同じ景色が眼下に広がる。着いたら一息ついて、陽が沈んだら公園を渡って、住宅街の小さなフレンチの店に連れていくのがいつもの過ごし方だった。そんなことがまた、叶うかどうかはわからないけど、今は少しだけそんな日を夢見て、静かにここで過ごしている。ここで少し仕事して、夜が明けたらまた少し眠って、それからまた仕事。かな。。
うまくいかないね。
いろんなことがうまくいかないね。
空回り、かな。。
今日はそんな一日。
泣きたくなるようなことがたくさんあるけれど、あしたも前を向いて、歩き続けよう。
歩き続けることを諦めたら、楽になれるのかな。。
生きる意味と、祖母の眼差し。
最近思うこと。生きる意味とその意義。
何がどうあっても、ボクは今を生きていて、
そして、意味と意義を見失っている。
また週末を迎えた。やったことといえば、肉体的な疲労をまず土曜日に緩和して、それから一か月ぶりにサロン行ってパーマかけて。日曜日は筋トレして、ごはん食べて、それだけじゃああんまりにもひどいのでこれを書いている。しかもお酒飲みながら。。なんだかバカみたいな週末を過ごしているんだけど、実はここ数か月はこれがルーティンなんだぜ、ひどいものである。。だがしかし、そんな酷い週末にあっても、ここ1か月くらいだろうか、望みも助けもない毎日に少しだけ光を与えてくれる存在がいる。ボクの祖母である。
祖母は。。もう17年も前に他界した存在だが、なんの病気もなく朝起きたら朝風呂の脱衣所で亡くなっていた。最後の1日まで自分の足で歩き続けて、そして元気な姿だけを見せて現世を去った人だ。大戦の時代を満州で過ごし、機械編みの先生として、現地に住む多くの人々の尊敬を集めた存在だ。
今となっては満州時代の祖母を知る語り部の多くは他界しており、その経緯は子供の頃に聞かされたものしかないが、満州時代は中国語を流暢に話していたらしい。僕らの前でそれを見せることは一度もなかったがその片鱗はあって、全編中国語で書かれた現地在住の中国語話者向けの冊子を読み耽っている祖母を何度も見かけていて、恐らく中国語を操るには不自由はしていなかったはずだが、それでも皆の前で中国語を話すことは一度もなかった。聞くに戦況が悪くなる前に引き揚げてきたらしく、後ろ髪を引かれる想いで日本に戻って来たらしい。想いを置いてきてしまったのかもしれない。そんな祖母の墓は、祖父の出身地である栃木県の東栃木にある祖父の本家の墓で眠っている。祖父も晩年、ボクが小学生のときに千葉県八千代市の病院で逝去して、ボクの実家には二人の位牌が仏壇に残されている。
ここ1か月くらいだろうか、一年以上も訪れることがなかった実家の仏前に立つことだけを目的に毎週実家に戻っている。特にお願いをする、ということはないのだけれど、ここに立つことで、生きる意味も意義も喪失しながらも、生き続けることが適っている。恐らくボクは、最期の一日まで迷わずに自分の足で歩き続けた祖母に、その眼差しを向けられている。そんな風に思ったのである。