生きる意味と、祖母の眼差し。

最近思うこと。生きる意味とその意義。

何がどうあっても、ボクは今を生きていて、

そして、意味と意義を見失っている。

 

 また週末を迎えた。やったことといえば、肉体的な疲労をまず土曜日に緩和して、それから一か月ぶりにサロン行ってパーマかけて。日曜日は筋トレして、ごはん食べて、それだけじゃああんまりにもひどいのでこれを書いている。しかもお酒飲みながら。。なんだかバカみたいな週末を過ごしているんだけど、実はここ数か月はこれがルーティンなんだぜ、ひどいものである。。だがしかし、そんな酷い週末にあっても、ここ1か月くらいだろうか、望みも助けもない毎日に少しだけ光を与えてくれる存在がいる。ボクの祖母である。

 祖母は。。もう17年も前に他界した存在だが、なんの病気もなく朝起きたら朝風呂の脱衣所で亡くなっていた。最後の1日まで自分の足で歩き続けて、そして元気な姿だけを見せて現世を去った人だ。大戦の時代を満州で過ごし、機械編みの先生として、現地に住む多くの人々の尊敬を集めた存在だ。

 今となっては満州時代の祖母を知る語り部の多くは他界しており、その経緯は子供の頃に聞かされたものしかないが、満州時代は中国語を流暢に話していたらしい。僕らの前でそれを見せることは一度もなかったがその片鱗はあって、全編中国語で書かれた現地在住の中国語話者向けの冊子を読み耽っている祖母を何度も見かけていて、恐らく中国語を操るには不自由はしていなかったはずだが、それでも皆の前で中国語を話すことは一度もなかった。聞くに戦況が悪くなる前に引き揚げてきたらしく、後ろ髪を引かれる想いで日本に戻って来たらしい。想いを置いてきてしまったのかもしれない。そんな祖母の墓は、祖父の出身地である栃木県の東栃木にある祖父の本家の墓で眠っている。祖父も晩年、ボクが小学生のときに千葉県八千代市の病院で逝去して、ボクの実家には二人の位牌が仏壇に残されている。

 ここ1か月くらいだろうか、一年以上も訪れることがなかった実家の仏前に立つことだけを目的に毎週実家に戻っている。特にお願いをする、ということはないのだけれど、ここに立つことで、生きる意味も意義も喪失しながらも、生き続けることが適っている。恐らくボクは、最期の一日まで迷わずに自分の足で歩き続けた祖母に、その眼差しを向けられている。そんな風に思ったのである。