振り出しの夏。再び。

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 年明けからずっと続く、仕事の行群。

休みもなく、粛々と進んだ先にあったものは 、

いつの間にか到来した雨季と、頼りない夏至の陽射しだけだった。

 

「最近音沙汰ないね、元気?」と読者に声をかけられ、ようやく筆を執った。昨年暮れからのその人は、「一人になりたい」と一言残して、その後は何が起きるわけでもなく、僕もその人を忘れた。そしてもう一人、関わった人がいるのだけれど、こちらはコロナ禍で何もかもが忘れ去られたように過去になっていった。

 

 そしてこの春はひたすら仕事だけしていた。最近は平日は帰宅も出来ずにずっと宿泊生活。ようやくそれが解けていまこれを記している。一体何のために仕事しているんだか。とも思うけれど、何かを期待したり何かに執着していると、生きていること自体が辛くなってしまうから、今はこの曖昧で、そしてただただ慌ただしい時間の真っ只中を、脇目も振らずに突き進んでる。

 

 大した容姿でもなく、お金持ちでもなく、若くもないボクに残されたものは、結局のところ、「生きた世界も、過ごした時間も違う」誰も知らない世界での出来事の「遺産と知見」だけで、ただただ、「結果」だけを目の前に実現することだけがそのアイデンティティになっている。こう、言葉にすれば極々当たり前のことだけれど、他の誰かと違うことは、ボクは歳をとったことは理解していても、人生の残り時間を惰性で消化して過ごそうとは考えていないということだ。

 

 そんなことを言うと「馬鹿なやつだ、身の程を知れ」と言われそうだが、そんな周囲の雑音なんかボクにはどうでもいいし、他人にとやかく言われるくらいで人生を諦めるほど、ボクには時間は残されていない。

 

2020年の夏は振り出しに戻ってしまったけど、まだまだ、ここから。

だって、ボクは生きているのだから。

 

生きて、いるのだから。